「中国さん中国さん」
とたとたと近付く足音と、舌っ足らずな幼い声。
くるりと振り向き、下げた視線の先。
少しばかり長い裾を引き摺りながら弟がこちらへ駆けて来る。
頬を仄かに赤く染め、息と肩をを弾ませながら。
と、
「あっ」
くん、と裾を踏んだ足。前のめりに倒れる小さな身体。
咄嗟に伸ばした腕は届かず、べしゃ、と地面に口付ける。
子供は小刻みに肩を震わせて、土に汚れた顔を伏せてしまった。
痛いだろうな、泣くだろうか。
すぐ傍らに膝をつき、小柄な身体を抱き上げる。
泣き出しそうに歪んだ顔、きゅっと結んだへの字の口。
涙の浮いた黒い目が、我を映して瞬いた。
「痛いあるか?」
「……いたく、ないです」
「嘘を吐く子は嫌いあるよ」
ぽろりと零れた涙を拭う。
子供の喉から引き攣る声が、ひく、と何度も零れて落ちた。
背に縋る手の小ささと、胸に埋まった泣き顔と。
しゃくり上げる涙声とが、これ以上なくいとおしい。
「痛かったあるな」
「いたかった、です」
「まだ痛いあるか?」
「……すこし」
震える背中をやんわり撫ぜる。
ぽんぽんと軽く、あやすように。
「それで、我に何か用あるか?」
落ち着いた頃を見計らって、そっと耳元に声を掛ける。
ぴく、と細い肩が跳ねて、子供の黒い目がこちらを向いた。
「なにも……なにもないのです。ただ、」
中国さんのお名前を、呼びたかっただけなのです。
もぐもぐと口篭りながら、上目遣いでぽつりと紡ぐ。
その言葉を受け、目を見開いた。
なんて可愛いことを言ってくれるのだろう。
思わず笑みが零れそうだ。
いけませんか、と不安げに問われ、慌てて首を横に振る。
悪いことなんて何もないある。嬉しいあるよ、と笑顔を浮かべて。
「中国さん?」
呼ばれ、はっと我に返る。
頬杖の手から頬を浮かせて巡らせた視界に日本の姿。
落ち着いた色の着物を纏い、湯気立つ茶器の乗った盆を持って。
立派に長じた弟は不思議そうに首を傾げた。
「どうかなさいましたか?」
「……なんでもねーある」
おいでおいでと手招いて、怪訝な顔をする弟の髪をくしゃりと軽く掻き回した。
「あの、中国さん……?」
困ったような顔の日本に、なんでもねーある、と繰り返して。
頬が緩むのを自覚しながら、呼ばわる声に耳を傾けた。
中国さん。中国さん?
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