風の強い日だった。
懐中時計に目を走らせて待ち合わせの時間にはまだ早いと知る。
ほう、と安堵の息を吐き、ふと目に映した桃色の花。
花心に向かうに従って色を淡くする薄い花弁。
風に煽られ揺れる姿に何故だか胸がざわめいた。
柔らかそうに波打つ花弁が今にも散ってしまいそうで。
けれども手を伸べる訳にもいかず、息を殺して見守るばかり。
と、
「あ、」
その一片がはらりと離れ、強い風に飛ばされる。
思わず目で追い声を零して、ああ、と小さく溜息を吐いた。
そのままばらばらと花は崩れて、黄色い蕊を残すのみ。
何故にこうも落ち着かないのか、その理由が少しだけ解った気がする。
あの花は、彼の人の花だから。だからきっと、
「菊!」
耳慣れた声で名を呼ばれ、はっと顔を上げそちらを見遣った。
ばたばたとこちらへ駆け寄って来る彼の人の姿が目に入る。
ほっと胸を撫で下ろし、アーサーさん、と彼を呼ぶ。
肩で息をし、頬を上気させて、待ったか、と彼はそう問うた。
「いま来た所ですよ」
「本当か? それ」
得意の常套句じゃないだろうなと軽く睨まれ曖昧に笑む。
嘘はほんの少しだけ。そう囁けば「やっぱり」と。
そう言って彼は淡く微笑み、行くか、と先を促した。
こくり頷き足を踏み出し、彼の人の手をそっと取る。
ひく、と小さく強張って、けれども振り解こうとはしない。
そのことが嬉しくて、安心して、俯いた顔に笑みが浮かぶ。
あの花は彼の人の花だけれど、彼の人そのものではないのだ。
吹く風くらいで散ったりはしない。そう分かっただけで幸せだった。
繋いでいた手が解けそうになり、けれども指は絡んだまま。
ぎゅうと強く握り返され、頬がかあっと熱くなった。
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