庭の桜を見上げれば、ふくりと綻ぶ蕾が見えた。
気の早い雀が梢に止まり、枝から枝へと飛び回る。
ひとつふたつと開いた花が、早くも摘まれてひらりと落ちた。
こら、と声を投げたところで雀は小首を傾げるばかり。
手紙を書こうかとちらと思って、けれどゆるりと首を振る。
今から手紙を認めたのでは到底間に合うはずもない。
ならば電話を掛けようか。
ぐるりぐるりと渦巻く思考。
頭上で囀る雀らが、はたりと小さな羽音を零した。
そっと目を伏せ踵を返し、草履を脱いで部屋の中。
けれど視線は庭へと向いて、膨らむ蕾を眺めるばかり。
昔ながらの黒電話、受話器へ伸べた腕が彷徨う。
受話器を取ろうか取るまいか、電話を掛けるか掛けまいか。
廻らせ飽いた悩みを振り切り、きゅっと唇を噛み締める。
一度右手の拳を握り、それから開いて受話器を取った。
ダイヤルを回す指が震える。ひとつ、ふたつ、三つ四つ。
覚えてしまった番号を脳裏に浮かべて指先で辿る。
ジィと戻る音を聞きながら吸って吐いての深呼吸。
受話器が奏でるコール音に心臓が早鐘を打ち始め……
「っ、あの、もしもし」
ふっつり途切れた機械音の後、耳慣れた声が鼓膜に触れた。
上擦りそうになる声を宥めて挨拶を交わし言葉を交わして。
「もうじき、桜が咲きそうなんです。宜しければお花見でも、と」
やっとの思いで告げた本題に相手はなんと答えるだろう。
期待と不安を半分ずつ、内心抱えて受話器を握った。
耳に届いた相手の声は嬉しい返事を連れてくる。
頬が熱くなるのを感じ、空の左手を押し当てた。
ああ、やはりいつもより体温が高い。
きっと赤くなってしまっている。
受話器の向こうに伝わらないのが不幸中の幸いだ。
けれども耳を掠める声は、何故だかそれを指摘して。
息を呑む音は伝わっただろう、相手の喉が微かに笑った。
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