ほんの僅かな唇の震えと、引き攣るような喉の動きと。
吐き出す息は細く細く、微かな音すら伴わない。
じっとこちらを見詰める相手に、ちら、と視線を投げ遣るけれど。
肩に置かれた手のひらが離れる気配は微塵もない。
「駄目、か?」
こちらを覗き込むようにして緑色の目が向けられる。
あまりにも真っ直ぐな視線を受けて、思わず顔を背けてしまった。
駄目という訳では、ないのです。
そう呟けば顔を歪めて、じゃあどうしてと彼は問う。
私は首を横に振り、ただただ下を向くばかり。
「……あなただって」
「何、」
「あなただって、呼んで下さらないじゃないですか」
じ、と下から睨み付けると、彼は見るからに狼狽した。
見る見る頬に朱を走らせて、わなわなと唇を震わせる。
肩に置かれた手のひらに痛いくらいの力が掛かった。
けれどその手を払いはせずに、アーサーさん、と彼を呼ぶ。
途端にびくりと肩が跳ね、はくはくと口を開閉させて。
見ているこちらが恥ずかしくなるような反応をされては、口を噤むより他にない。
直視し続けることすら出来ず、視線は徐々に下へ下へと。
ゆるりと瞼を伏せた頃、肩の手に力が込められた。
先程よりも弱い力で、けれど痛くない程度に強く。
何事でしょうと顔を上げ掛け、耳に届いた声で止まる。
「……菊、」
「っ、」
「菊」
茹蛸みたいな真っ赤な顔で、ふるふると体を震わせて。
いつもは自信に満ちている眉も、どこかへたりと八の字に。
ただ緑色の彼の目だけは、真っ直ぐに私へ向けられていた。
それが分かるから顔は上げられず、言葉も紡げず黙するばかり。
「……お、俺は、呼んだぞ」
「私だって、さっき呼びました」
「う、」
互いに真っ赤な顔をして、ぼそぼそと遣り取りを繰り返す。
傍から見たら滑稽だろうけれど、幸いなことにここは室内で。
ちら、と密かに彼を窺い、少しずつ少しずつ顔を上げる。
相手は依然として落ち着きがなく、左右に視線を泳がせていた。
あー、とか、だから、とか、その、だとか。
そんな言葉ばかりを繰り返して。
「アーサーさん」
「っな、な、なんだ、」
「折角ですから、街へ出てみませんか?」
その提案に、へあ、と。なんとも頓狂な声を出して。
何度も何度も瞬いて、疑問符をいくつも頭上に浮かべる。
「ええ。外ならば、名前で呼び合うことも出来ますから」
国の名ではなく、人の名で。その方が自然でしょう?
そう続けたら彼は笑み、そうだな、と頷いた。
照れくさそうに眉を下げ、緑の眸をスイと細めて。
どこへ行こうかと相談しながら、時折互いの名前を呼んだ。
その度に揃って頬を染め、もぐもぐと口篭ってしまったけれど。
大事に大事に紡いだ名前は心の奥底に灯りを灯した。
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